勘九郎と真逆のカンクロ -ダイズ茎かいよう病菌-

 近頃、日本で「かんくろー」と言えば、歌舞伎や大河ドラマなどで活躍する6代目中村勘九郎が思い浮かぶでしょう。しかし、南米で「カンクロ」と聞けば、泣く子も黙るダイズの最悪病害なのです。これはスペイン語やポルトガル語のCancro(癌、英語:Cancer)であり、茎の暗色病斑と内部の腐敗に始まる急激な枯死、すなわち「ダイズ茎かいよう病」のことです(図1)。

図1A-C.茎かいよう病罹病ダイズ,A.圃場での発病状況(品種‘Ocepar 9’),B, C.茎の暗褐色~褐色かいよう病斑,C.髄の褐変腐敗した病斑部(中央).

 1992年1~3月、筆者は当時の国際協力事業団(JICA,現在:国際協力機構)のプロジェクトから要請を受けて、南米のパラグアイ農業研究地域センター(CRIA)などの関係者とともにカンクロの発生調査などを行いました。パラグアイはブラジルとアルゼンチンとの間にある亜熱帯の内陸国で、牧畜と農業が盛んな国です。日本とはちょうど地球の反対側に位置していますが、1920年初めから日本人の移住が始まり、今日、パラグアイの重要な輸出品となっている大豆の生産を移住者が導入したこともあり、日本とは親密な関係にあります。JICAが同国で行っていた農業分野の技術援助では、コムギと大豆を対象とした主要穀物生産強化プロジェクトが1990年から5か年間の計画で実施され、すでに両作物の種子管理体制の整備などで成果を挙げていました。

 パラグアイに大豆が初めて導入されたのは1985年であり、その2年後、日本に輸出されたのはわずか360トンでしたが、1993年には300万トン近くに上りました。その驚異的な輸出増は近年大豆が最も効率の良い外貨獲得作物となり、国策として増産に取り組んだ結果です。一方、同国の大豆栽培の歴史は浅く、その頃まで重大な病害虫が発生していなかった背景も見逃せません(西ほか,1988)。筆者がダイズ病害のJICA短期専門家としてCRIAに赴いた時、受け入れ先の病害研究室長に「はるばる何しに来たの?」といった口ぶりで迎えられたことを覚えています。ところが真夏の2月初め、圃場調査に出てみると現地関係者の心配が現実のものなってしまいました。それは、過去北米で、また当時ブラジルで激しいダイズの減収を引き起こしたカンクロ(茎かいよう病,Southern stem canker)の同国における初発生でした(Sato, et al. 1993)。

 ここで、この病害の歴史と病原菌について大まかに説明しておきたいと思います。1940年代の終わりごろ、米国中西部で初めて見つかったダイズ茎かいよう病は、Diaporthe phaseolorum var. batatatisが起こすと報告されましたが、その後同菌はD. phaseolorum var. caulivora に改められました。この病害は1950年代初めまで主に発見地の北側で多発しましたが、抵抗性品種の導入によりほぼ収まりました。しかし、その約四半世紀後、今度は合衆国南部でよく似た病害が大流行したことから再び研究が盛んになり、中北部に分布する病原菌と南東部に発生したものが様々な点で異なることが分かりました。そこで、前者はD. phaseolorum f. sp. caulivora によるNorthern stem canker、後者はD. phaseolorum f. sp. meridionalisによるSouthern stem cankerとして区別されるようになりました(佐藤,1996)。その後間もない1989年から1990年の栽培シーズンにSouthern stem cankerがブラジルで大発生し、中でもパラグアイのダイズ主要産地に隣接するパラナ州の南部で最も大きな被害が出ました。この病害は種子伝染することが知られており、パラグアイはブラジルから毎年種子を購入していたことから、隣国に同病が侵入するのは時間の問題と考えられていたわけです。

 ダイズ茎かいよう病菌は分生子殻内で分生子(無性世代)を、子のう殻内で子のう胞子(有性世代)を大量に形成して蔓延します。この菌に汚染された種子が国内外の遠隔地に運ばれて長距離伝搬を果たし、一方、罹病ダイズ残渣や分生子・子のう胞子がトラクターなどの耕作機械に付着して近くの畑に伝搬します。また、生育中のダイズの間では無性・有性胞子が雨露など水を介して運ばれ感染します。このように、1年生のダイズを宿主とする同菌も1年単位のライフサイクルを持っています(図2)。上で説明した伝搬法のいずれかにより初夏のダイズ苗に感染した病原菌は、莢がつく頃にようやく目立った病斑を茎に生じます(図1B, C)。その上に大量の分生子ができて近隣の莢に飛散し種子を汚染すると考えられています(図3A, B)。苗の時に感染した発病株は立ち枯れてしまい収穫時に刈り取られますが、一部はこぼれて畑に残されます。南米では土壌流亡を避けるため不耕起栽培が行われる場合も多く、発病畑では大量の罹病残渣が地上に露出したままになります。秋から冬にかけてこれら残渣の一部に子のう殻が形成され、多くは残渣内の菌体とともに越冬します。翌年の晩春から初夏、暖かくなり雨が降ると越冬した菌体から子のう殻が新たに形成され、越冬した子のう殻とともに中の子のう胞子を飛散させます(図3C-E)。これらがちょうど伸びてきたダイズの苗に感染し、伝染環が繰り返されます。

図2.茎かいよう病の伝染環(種子伝染・水媒伝染)と病原菌のライフサイクル(佐藤,1996より改変).

図3A-D.茎かいよう病菌D. phaseolorum f. sp. meridionalis,A.分生子殻,B.分生子,C.収穫後の茎に密生した子のう殻頸部,D.子のう殻,E.子のうおよび子のう胞子

 調査した当時のパラグアイでは、南東部のイタプア県の3か所、アルトパラナ県の13か所で13品種以上のダイズに茎かいよう病が確認されました(Sato, et al. 1993)。懸念されていた通り、アルトパラナ県のNaranjalで最も被害が大きく、特に一昔前の数品種で高い発病率が確認されました。新しい抵抗性品種との発病の差は歴然としており、圃場で生育するダイズの色により離れた所からでも見分けがつくほどでした(図4)。圃場調査と並行して採集試料から病原菌を分離・同定した後、その菌株をダイズに接種し病徴再現にも成功しました(図5)。これで病斑上にできた分生子や子のう胞子がこの病気を起こすことを立証できたことになります。現地では何とかここまで終わらせて代表的な分離菌株を携えて帰国の途に就きました。すでに報告されていた病原性の分化をパラグアイの菌株について確認するため、あらかじめ農林水産大臣の特別許可を得て日本に菌株を持ち込みました。パラグアイで栽培されている8品種に代表32菌株を接種したところ、同国には少なくとも8レースが分布することが分かりました(図5)。また、北米産ダイズ20品種・1系統に4菌株を接種したところ、すべて異なるレースであることが明らかになりました。次に、強病原性のレース1と弱病原性のレース6の2菌株を用いて、パラグアイで育成した12系統の抵抗性検定を行いました。その結果、両菌株に抵抗性を示す系統が1つ見つかり、有望な抵抗性育種素材と判断しました(図5)。一応の成果が得られたところで旧四国農試への転勤が決まり、菌株を農業生物資源ジーンバンクに預けてこの研究を切り上げました。

図4.茎かいよう病感受性ダイズ品種‘FT-1’ (左)と抵抗性品種 ‘BR–4’(右)の罹病状況

図5.強病原性茎かいよう病菌菌株48-21(強病原性のレース1)を接種して25日後のパラグアイダイズ育成系統LCM48(手前1列)およびLCM29-1(奥2列:茎かいよう病抵抗性)

 以上がこの研究の概要ですが、所感を少し紹介します。パラグアイにおけるカンクロ(ダイズ茎かいよう病)の発生は、大豆を外貨獲得の頼みの綱としていた同国にとって国家的危機と言っても過言ではありませんでした。筆者らが同病害の初発生を農牧省に伝えると、直ちに立ち上げられた政府の対策委員会が速やかに抵抗性品種の確保・増産に動いたことを見てもそれが大げさな話ではなかったことが窺えます。幸い壊滅的な被害を免れることができて、はるばる地球の裏側まで出張した甲斐があったというものです。ただ、ちょうど1年前に湾岸戦争が始まり、日本は多国籍軍に拠出金を出したため、予算が減らされて滞在期間が1か月短くなり、えらく忙しい思いをしました。一方、冒頭の中村勘九郎(当時は襲名前の中村勘太郎)はフジテレビの「旅は道連れ世は情けねェ!(1992年2月14日~)」に八代鉄平役で出演しており、日本では表向きほとんど戦争の影響は感じられなかったことでしょう。しかし、よく考えてみればパラグアイで筆者が1か月滞在する費用は、ミサイル1発どころか砲弾数発にも満たないぐらいではなかったでしょうか。その分日程を延ばせたら、現地ですべて仕事を済ませ、病原性レースや抵抗性系統の情報とその関連技術をパラグアイの関係者に直接提供することができたわけです。この出張を通して、戦争はたとえ一部地域で起きても遠い国にまで悪影響を及ぼすことを思い知らされました。現在各地で続いている愚かな戦争も直ちに終わらせ、人殺しの経費を人類の福祉に振り向けるべきと強く訴えずにはいられません。

 毎年日本では南米・北米から大豆を大量に輸入しているにもかかわらず、一時期ガングロが流行っただけでつい最近までカンクロはまだ見つかっていませんでした。これは日本の植物防疫部署の努力の賜物であると内心頼もしく感じていました。ところで、筆者は長年もやし原料から、またその製造過程で発生するカビを調べてきました。2009年、国内のもやし研究者が合衆国産の豆もやし用大豆から分離した糸状菌(カビ)を送ってきました。形態とDNAを調べてみると、なんとNorthern stem cankerの病原菌D. phaseolorum f. sp. caulivora(現在はD. caulivora)にほぼ間違いないことが分かりました(佐藤,2015)。どんなに厳しい植物検疫体制を敷いても、種子伝染性の病原菌は国境をいとも簡単に飛び越えてしまうことを実感しました。もやし原料の緑豆や大豆などはすべて輸入されているため、工場で腐敗したもやしの処理をおざなりにすると、海外産の新規病原菌が国内のダイズなどに蔓延する恐れがあります。海外から侵入した病原菌が農業に大打撃を与えることは、サツマイモ基腐病(農研機構ホームページ)やアイルランドのジャガイモ疫病の例(potato-museum)でもよく知られています。安くておいしいもやしは昨今の物価高ではありがたい食材ですが、そのようなリスクを抱えているのです。この時はダイズ畑で見つかったわけではなく、大事には至りませんでした。しかし昨年、北海道産のダイズ子実を腐敗させる病原菌として報告され、日本でも恐れていたことが現実となりました(畑中ら,2024)。もやし原料に限らず、日本は多くの食料を輸入に頼っています。それは食料安全保障上の課題であることはもちろん、常に侵入病害の危険性も孕んでいます。海外から忍び込んでくる病原菌から国内農業を守るためにも、食料自給率を高める努力が必要であることは言うまでもありません。

 蛇足ながら、昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で中村勘九郎は京都の豪商茶屋四郎次郎を演じました。現代であれば幅広く輸出入を手掛ける商社の社長といった役どころでしょうか。筆者がもし家康であれば、茎かいよう病多発地帯から大豆を輸入することは「どうする?」などと迷わず禁止したと思います。「四郎次郎、カンクロはご法度じゃ!」

文献

畑中良太, 高村志帆 2024. 北海道におけるDiaporthe属菌2種によるダイズホモプシス腐敗病の発生(病原の追加). 日植病報 90: 60(講演要旨).
西 和文, de Viedma, L. Q., Maria Elvezia Ramirez de Velasque. M. E. R., Morel, P. W. 1988. パラグァイ国に発生するダイズ病害. 関東東山病虫研報 35: 42-44.
Sato, T., de Viedma, L. Q., Alvarez, E., Romero, M. I., Morel, P. W. 1993. First Occurrence of Soybean Southern Stem Canker in Paraguay. JARQ 27: 20-26.
佐藤豊三 1996. パラグアイにおける大豆茎かいよう病の発生と病原菌のレース分化. 農林業協力専門家通信 16(5): 1-19.
佐藤豊三 2015. もやしとその原料の腐敗・汚損菌類. 微生物遺伝資源利用マニュアル 37: 1-22.