炭疽病菌と炭疽菌

 21世紀初頭、アメリカで感染症の病原菌が放送局などに送り付けられ死傷者が出るというバイオテロがありました。それは炭疽菌Bacillus anthracisという細菌で、吸い込むと致死率の高い肺炭疽を起こすことから生物兵器の研究対象にもなりました。1867年、人間の病原菌として初めてコッホがこの菌を報告しました。それに遡ること36年、Colletotorichum属が植物の炭疽病を起こすカビ(真菌)として新設されました(図1, 2)。この他にも19世紀半ば、アイルランドで大飢饉を引き起こしたジャガイモ疫病菌(偽菌)は1861年に発見されており、意外にも人畜の病原菌より植物の病原菌の方が早く報告されています。ただ、宿主がどちらであれ、病原菌が明らかになる以前から病名は通用していたはずです。暗色の病斑が偶然似ている植物の炭疽病anthracnose(図3)と人の炭疽(症)anthraxの呼称は、和英ともに紛らわしく一般世間では混同されがちです。冒頭のテロ事件の翌年、リンゴ生産者団体から旧果樹研究所に対して、また、当時病名委員であった私に公設果樹試験場の方から「『炭疽病』は生産物のイメージダウンにつながるので、他の病名に変更してほしい。」という要望がありました。同情できなくもありませんが、定着した病名の変更は現場の混乱を招くため、むしろ消費者にきちんと説明すべきであると説得したことを覚えています。最近では、筆者が大学の別科目で炭疽(症)と炭疽病を教えたところ、炭疽病菌は人間に感染しないのかと学生に質問されたこともあります。そこで、一般向けには誤解を避けるためカビによる病害を植物炭疽病と呼んでいます(佐藤, 2009a, b,2023)。

図1,2 炭疽病菌の線画(1. 子のう殻,2. 分生子層).
図3. リンゴ炭疽病に罹病した果実.

引用文献

佐藤豊三 2023. 植物炭疽病菌 Colletotrichum species. 微生物遺伝資源利用マニュアル(45) 51pp.
佐藤豊三・森脇丈治.2009a.植物炭疽病菌(1).微生物資源学会誌25:27–32,
佐藤豊三・森脇丈治.2009b.植物炭疽病菌(2).微生物資源学会誌 25: 97–104.