著者プロファイル

 私、北宜裕(きた のぶひろ)です。1956年9月に、タバコの銘産地で、ムギ、ナタネ、ラッカセイをその輪作体系に取り込んだ都市近郊の農村だった神奈川県中郡西秦野村(現秦野市)で、今では珍しい「お産婆さん」に取り上げられて生を得ました。父親は戦後の農業を現場で支えた農業改良普及員として神奈川県で長く働きました。高校まで地元で過ごしましたが、大学は一転して文化圏の異なる関西を選び、大学院まで6年間(うち4年間は剣道ばかりしてましたが)過ごした後、現場に出たくて1981年に地元神奈川県庁を受験し、農業技術職として入庁しました。

 はじめの3年間は、ダイコン・キャベツの国指定大産地である三浦半島を管内とする横須賀農業改良普及所で普及員として農家と苦労を共にしながら(実は教育してもらいながら)過ごしました。印象的だったのは、明治時代末から100年にわたって600ha規模で栽培され続けてきた大型で白首中太りの「三浦ダイコン」が、気象災害(台風害)を受けて小型の青首ダイコンに私の在任中のたった3年間でほぼ100%置き換わってしまったことです。消費者ニーズと収穫労力の軽労化、そして何と言っても市場価格の有利性がこの急激な変化の原動力になったようです。

 その後、1984年に神奈川県園芸試験場果菜科に異動してトマト・キュウリの施設栽培を中心とした研究に、その3年後には環境科に異動して病害虫の研究に従事した後、1989年に本庁に異動しました。担当は新たな農業研究所を立ち上げる業務で、本庁ですから多部門との調整が中心の行政事務業務ばかりでしたが、幸運にもこの職場で海外留学のチャンスを得ることができ、1993年7月から2年間、米国カリフォルニア大リバーサイド校の故Keen教授の下で軟腐病菌の病原性因子の解析に取り組みました。

 帰国後は神奈川県農業総合研究所(現農業技術センター)に異動し、2012年3月まで熱水土壌消毒や土壌還元消毒技術の開発、植物とウイルスの相互関係の解析、ホウレンソウの硝酸塩濃度低減化技術、タマネギの辛味発現やうどんこ病菌の薬剤耐性メカニズムなど幅広い応用研究に取り組みました。一方で、地域振興の直接的な牽引役となる育種にも農家を巻き込んだチームを組んで取り組み、ネギ(湘南一本)、ナス(サラダ紫)、ダイコン(湘白)、トマト(湘南ポモロン)等の新品種を育成し、品種登録しました。

 2017年4月に神奈川県職員の定年退職のタイミングで日本大学生物資源科学部(神奈川県藤沢市)に職を得て、5年間という短い期間ではありましたが学生の皆さんと一緒に植物医科学研究の入り口から出口まで幅広い視点からの教育・研究に携わりました。日大を定年退職した後、2022年6月から縁あって地元の(株)荒井商事が運営する荒井ベジアス土屋農場で「農産物を売る」ための技術支援とそこで熱意を持って農業に挑戦する若手職員の育成に携わることになり、現在に至っています。

 以上のように常に生産現場に軸足を置き、農学三現則、すなわち「現場、現物、現象」、を座右の銘として汗をかいてきた経験を活かしてHeSoDimの普及にも尽力したいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

著者近況(2022年8月)