著者プロファイル

 私、宍戸良洋(シシド ヨシヒロ)は昭和19年5月生まれです。母はその当時は珍しい職業婦人で、保健所の保健婦をしていました。小学校を卒業するまで2回転校しました。中学時代は電線に針金ひっかけて電気で魚とりや小川をせき止めかい掘りしたり、空気銃で鳥撃ちをしたり、野生生活そのものでした。中学時代には地元の摺上川で泳いでいて、川での飛び込みで前歯2本を失くしてしまいました。
 大学は4年間は麻雀とダンスでほとんどを過ごしました。講座は毎回ほとんど20~30分しか講義をしなかった園芸が一番やさしいと思って入りました。ところが、卒業して就職と思ったら、大学4年間なにも勉強していなかったなと実感してしまったものですから、そこで、大学4年分の勉強をしないといけないなと思って、大学院に残ってその分を取り戻そうと思いました。しかし、卒論のテーマがリンゴの枝の伸びに関する研究で、すでに研究されていたテーマで、あまり発展性が想像できなかったので、助手の先生と相談して、その当時ほとんど研究されていなかったタマネギの花芽分化に関する研究に、教授に相談せず勝手に決めて、大学院に入って最初のゼミで自分のテーマを宣言しました。その当時は学園紛争の時代で、大学での習慣とか決め事などに頓着しなかった時代でした。修士2年の卒業の時に、教授が定年だったのですが、研究が面白くなってきたので、ドクターに行くことを決めました。ドクターの8月の入試試験で、病理の問題で落ちたので、病理の先生に文句を言いに行ったが、一蹴されました。12月の試験でも全く同じ問題を出され、面接のとき、今度はわかりましたかと病理の先生に言われ、前回は問題を読み違えたことを言ったのを思い出します。ドクターに入った年に指導教官だった先生が転勤で、研究室は果樹分野の助手の先生だけになったので、指導教官なしで、3年間ドクター研究をしました。その間、学生結婚をし、そして、ドクター論文をまとめていたら、兼任教授が専門外だからドクター論文の審査はしないといわれました。不貞腐れていたら、新しく教授が赴任し、僕のやりたい研究をやらないかといわれ助手になりました。その教授の下で学位を取ってから、新しい研究を開始しました。

写真1.東北大時代の光合成測定のための実験装置.


 その研究課題は光合成後の同化産物の転流と分配に関する研究で、日本ではあまり歓迎されていない、放射性物質(14C)を使った研究でした。この研究は放射性物質を使える研究施設と利用資格が必要でハードルが高かったのですが、そのためか、園芸分野では、ほとんど1人で研究を進めすることになり、うれしいことに次々と新しい実験結果や論理を国際誌にも提出することができました。その後は、研究現場から押し出され、對馬理事長とも同じ研究チームで、チーム長として根こぶ病の研究に携わり、毎年学会発表のため、外国旅行をさせてもらいました。本当に考えてみると楽しい研究生活を送らせていただきました。
 退職後は、三菱科学のフィルム部門のMKVプラテックにお世話になって、北は北海道、南は九州と各地の野菜産地へ、MKV販売促進の集会が開かれ人寄せパンダで講演をして回りました。5年後、MKVプラテックをやめたら、明治大学に特任教授で来ないかといわれ、行くことにしていたら、3月に大震災に遭遇し、自宅も床下浸水で、庭や畑は水没した状態になりました。4月から明治大学に行く約束をしていたので、5月にやっとバスで東京へ行って、大学に赴任したけれど、被災した家のことが心配で1年でやめさせてもらって、亘理に帰ってきました。そしたら、震災復興のためのプロジェクトが始まることになって、その評価委員になることになりました。プロジェクトは福島、宮城、岩手県の3県で、それぞれの被災地で行われることになって大小10課題以上のプロジェクトを担当することになり、結局3県を組み合わせて10年間担当して、被災各地を訪問して回りました。
 MKVプラテックをやめる時に4.5X12m のハウスと合わせて100坪の畑と100坪の庭で、家庭菜園と庭作りを始めました。ハウスはトマト・ナス・キュウリ・ピーマン・パプリカなど果菜類を露地はタマネギ・ニンニク・ジャガイモ・ネギやキャベツ・白菜・ブロッコリ・ニラ・キク-カボチャ・スイカ等々・葉菜類は冬のハウスで肥料抜きを兼ねていろいろ植えて、野菜類はほとんど自給できています。

写真2.家の前に作ったハウスで野菜栽培.


 家庭菜園の合間には、週1のテニスと男子厨房に入る会に入って、月二回の料理コースで、そのうちの一回は仙台市のホテルのシェフや郷土料理家の先生が来てくれています。また、男厨会の中の釣りクラブ(地元の釣りクラブにも入っています)と囲碁クラブに入って楽しんでます。
 令和6年80歳になって12月に、三陸沖でタラ釣りに1泊2日で行って来ました。一匹しか釣れなくて、それも産卵後でタラのキクはダメだったけれどタラのから揚げは絶品でした。

≪履歴≫
昭和47年 6月~昭和59年 3月  東北大学農学部園芸学研究室助手
昭和59年 4月~昭和63年 3月  農水省野菜試験場栽培部主任研究官
昭和63年 4月~平成 8年 3月  農水省野菜茶業試験場盛岡支場栽培生理研究室室長
平成 8年 4月~平成13年 3月  農水省東北農業試験場 総合研究3チーム長 平成13年 4月~平成15年 3月  独立行政法人 東北農業研究センター野菜花き部長
平成15年 4月~平成17年 3月  独立行政法人 野菜茶業研究所  野菜研究官
平成17年 5月~平成21年11月  MKVプラテック株式会社  技術顧問
平成23年 4月~平成24年 3月  明治大学 植物工場 特任教授
平成20年 4月~平成25年 3月  山梨県総合農業技術センター 客員研究員
平成18年 4月~現在に至る     山形大学  客員教授(農学部)
≪学位≫
昭和48年 5月  農学博士(東北大学,農博第131号)
          「タマネギの花芽分化に関する研究」
≪賞 罰・その他≫
平成 7年 4月  日本園芸学会賞 学術賞
          「トマトにおける光合成産物の動態と収支に関する研究」
平成 8年 8月  園芸学会東北支部会賞 研究部門賞(グループ受賞)
「夏秋取りイチゴの東北地方における促成作型の開発」
 
平成 9年 5月  特許 栽培用植物の処理法 第2651455号
平成19年 2月  特許 畝内帯状攪拌施用機 第3806735号

など。

写真3. 釣りで大物ゲット(著者).