「スローなユビキタスライフ」の実践

對馬誠也理事長(以下、對馬):
 前回までは、NTT在任期間の事業化にむけたお話をお聞きしてきましたが、今回から、NTT退職後のお話を伺いたいと思います。
 遠藤さんのホームページ「M-SAKU ネットワークス」の「Partner Experience」にある「主なPersonal Profile は?」で、「(NTT Advanced Technologyを)早期退職し、長野の北八ヶ岳の麓にIターンし、米国西海岸のGoogleクラウド環境を外部脳とし、M-SAKU Networksなど12ドメイン、150サイトを作成・運営、北八ヶ岳苔の会を立ち上げ自然を味わい、農業IoT、健康、気象、行動変容など「人間+AI」研究のスローなユビキタスライフを楽しんでおります」と書かれておられます(遠藤隆也、2019)。
 これは、遠藤さんが退職後に、それまでの経験を活かして人生をいかにエンジョイしているのかを示したものかと思いますが、これに関して一つお伺いしてよろしいでしょうか。まず、遠藤さんが長野県北八ヶ岳の麓にIターンした理由です。

遠藤隆也会員(以下、遠藤):
 私は三浦半島の南の相模湾に近いところに住んでいました。移った理由のひとつは、「東南海大地震」です。三浦半島は関東大震災でも大きな被害を受けたところで、それよりも桁の違う大きな地震がおこることが想定されていました。加えて、三浦半島には水源がなく、遠く神奈川県の西部から延々とトンネルなども経由して各家庭に水道がひかれていました。各家庭には玄関先の地下に水タンクを設置するための補助金がでていました。日本中、どこも地震の可能性はありますが、比較的少なく、かつ都市災害が少ないと思われるところへ移住しようと思っていました。(北八ヶ岳に移住8年目に、東南海大地震の前兆でもある東日本大震災が起こりました。被害は何もありませんでした。)

 もうひとつの理由は、「地球温暖化」です。三浦半島に移った頃(今から45年前)には、真夏になると、夕方には毎日、夕立があり、夜には涼しい風も吹き、毎日ぐっすり寝られて、いいところに来てよかったね、という状況でした。その後、三浦半島の南の方では夕立が少なくなりました。また、横浜にも高層ビルが立ち並び、都会ではゲリラ豪雨が話題となり、どうも季節、気候が変わってきているようだと実感するようになってきました。今から20年前頃には、夕方から夜になっても暑く、寝られない日々が続くようになりました(後になってから気づいたことですが、海の水温も相当上がってきていたのですね。)そこで、涼しいところに移って、夜ぐっすり眠りたい、というのが喫緊の課題となりました。

 ただし、とんでもない遠くに引っ越すわけにもいきません。まだ59歳で、仕事も多忙でした。いろいろと検討してみると、長野県の佐久地方は、北八ヶ岳の麓の町で標高800m、夏の夜も涼しいところであり、長野新幹線で東京駅まで1時間半もあると着くことができます。その頃、文部科学省の未来の情報通信に向けた文理融合研究プロジェクトに参画していましたが、その成果をやさしくまとめられた本が「スローなユビキタスライフ」です。この「スローなユビキタスライフ」を実践するためには、光ファイバーやクラウドコンピューティングやモバイルサービスなどが必要ですが、NTTは当時、光ファイバーの超高速伝送路を日本中に敷設する施策をすすめていました。これらの状況をうまく総合的に実活用すると、田舎に住みながら、時々オンサイトで、ほとんどはリモートで、仕事をすることができるのです。(コロナ後に、このライフスタイルが普通になるとは当時は考えられない時代だったのです。)

 加えて、高齢化に向かう自分たちにとっては、医療、福祉の充実した町に住むことが必須条件です。佐久地域は、地域医療発祥の地であり、かつ、リハビリや福祉活動の充実した土地だったのです(参考資料を参照)。

對馬:
 長野県に移住するのに、いろいろな理由があったのですね。とくに遠藤さんが、早い時期から「地震」と「地球温暖化」を考えていたこと、さらには「スローなユビキタスライフ」を実践したいと思っていたことには驚きました。さらに驚いたのが、遠藤さんご自身も驚いていますが、実際に、「田舎に住みながら、ほとんどはリモートで、時にはオンサイトで仕事をすることができる」環境になったことです。夢が現実になることは少ないと思うのですが、遠藤さんの場合、NTT時代に考えていたこと、退職後に考えたことが、いろいろ実践しているのに本当に驚きます。
 そのような遠藤さんですので、長野県で取り組んできたこと、今考えていることを益々聞きたくなりました。

遠藤:
 では、まず、「スローなユビキタスライフ」についてお話しましょう。先ほども、ご紹介したように、これは、文部科学省の文理融合研究プロジェクト「やおよろずプロジェクト」の成果から生まれた、近未来の生活のシナリオの名前です。2005年当時に予想された、最先端のIT技術がスローライフを支える「なつかしい未来」がそこにあります。そして、このシナリオを物語にした本の中では、ユニバーサルデザイナー(年齢や、障害・病気の有無に関係なく誰にでも使いやすいデザインを手がける人)の先駆者として活躍する著者が、IT技術によって誰もが人や自然とつながりながら、自分らしい生活を送れるユビキタス情報社会を夢見て、人と自然とテクノロジーの理想的なかかわり方を模索する様子が、情感豊かに描かれているのです。

 私は、この本と同様な生活を田舎ですごしているということで、この本の実践モデルと言われたこともあります。では、実際の、私自身の田舎での「スローなユビキタスライフ」の活動例に関して紹介紹介しましょう。私自身の「スローライフ」とは、
・田舎を住居とし、自宅の庭の畑と農業ハウスで農作業。
・地球環境に配慮した、木造住宅を建築。南30度の方流れの屋根には太陽光発電設備を設置し、当初の10年間は光熱費ゼロ、内蔵した蓄電池の電気を利用したオフグリッド生活を実践。また、建築に向かない県産材木(カラマツ)を使ったことで、高気密・高断熱、冬の寒さと夏の暑さにも快適に暮らせる。そして、全バリアーフリー、リハビリに対応した設計。
・車無し、電動自転車と歩きで移動。
といった具合です。

對馬:
 遠藤さんのスローライフはとても興味があります。こうした生活が、遠藤さんのこれまでの活動にいろいろ関係しているのですね。

(参考資料)
佐久地域の地域医療体制に関しては、下記のホームページに説明されています。
佐久総合病院グループ
地域医療先進エリア 長野県佐久地域(佐久大学)
「世界最高健康都市」として、 人びとの幸せな暮らしのために 地域が今、できること(終活Cafe)