「汝自身を知れ」

對馬誠也理事長(以下、對馬):
 その後、遠藤さんは人間の研究が必要と思い、ヒューマンインターフェース研究を立ち上げ、電子情報通信学会に「ヒューマンコミュニケーショングループ」を創設する。また、マルチメディア研究を立上げ、「マルチメディア構想」を推進する。認知科学者などを集めた「ヒューマンインフォメーションテクノロジー(Human Information Technology:HIT)センター」を創設するとあるのですが、なぜ「人間の研究が必要だ」と思ったのでしょうか。その点にとても興味があります。

遠藤隆也会員(以下、遠藤):
 元々、若いころから、人間自身、哲学、宗教、脳科学、意識の流れ(Stream of Consciousness)、ヒューマンコミュニケーションなどの勉強をしていました(これが内発的Want)。そして、それを何かの機会に自分の業務としての研究としていくことはできないかと模索しておりました。
 一方、デジタル通信サービスを提供しているときに、自分でデザインしたサービス仕様をもとにしたデジタルサービスが実際に行われ始めると、ユーザーインターフェースやユーザーエクスペリエンス(User Experience:UX)が基本的な課題として持ち上がってきました。
 この時、タイミングよく、電電公社はNTTへと民営化され、組織全体で大きなトランスフォーメーションを推進することになり、新しい研究所が立ち上がりました。そこで、私自身がそのトランスフォーメーションの推進役の一員に選ばれたのです(これが外発的Should)。
 この「Want:やりたいこと」と「Should:やるべきこと」を結びつける機関となる、ヒューマンインターフェース研究所の創設に携わることになりました。

 ここで、まず始めた研究が「汝自身を知れ」ということです。世の中のすべての研究の基盤は、「人間」にあります。「そもそも『わかる』とは、そして、『わかりあえる』とはどういうことか?」「自分の脳の中のニューロン、シナプスはどのようになっていて、どのように発達・進化・深化しているのだろうか?」。これら、自分の根本的な疑問にチャレンジするために、コンピュータ・ヒューマンインターラクション(Computer-Human Interaction:CHI ユーザーモデル、メンタルモデル、ユーザビリティ、使い勝手、ユーザーエクスペリエンス、遠隔コラボレーションなど)や認知科学(記憶、注意メカニズム、コンテクスト、思考のプロセス、言語、意味、理解、学習、知能、マインド、認知バイアス、感情など)、行動科学(その後の行動経済学)、自然言語処理、機械翻訳、ニューラルネットワーク、そして人工知能の研究に没頭することになったのです。
 しかし、これらを始めた年が40歳を過ぎたときだったのです。もうすでに知っていて当たり前だった、自分自身のこと(例えば、記憶、注意メカニズム、コンテクスト、思考プロセス、言語、意味、理解、学習、知能、マインド、認知バイアス、感情など)を知らずに生きてきた自分に気づいて、「四十にして惑わず」どころか、大いに「惑った」のです

 前回のBlogでお話ししたように、私は、50年前に、自動波形等化器の考案の中で、簡単なニューラルネットワーク回路をインプリメントしており、伝送路で歪みをうけた受信波形をニューラルネットワークで自動波等形化(波形を補正・整形)することで、信号波形を再生してデジタル識別するデジタル伝送路を実用化しておりました。しかし、この頃に研究していた、ニューラルネットワーク、自然言語処理、認知記憶、注意メカニズム、コンテクスト、思考プロセスなどがキーになって、現在の「生成AI」の大ブームになるとは、当時は想像だにしていませんでした。
 というのは、認知科学のキーのひとつである人間の言語、そしてその生成に関わる思考のプロセスは、常にある種の複雑さの頂点であるように思われていたからです。 また、「わずか」1,000 億個ほどのニューロン (そしておそらく 100 兆個のシナプス接続)のネットワークを備えた人間の脳が、言語を生成し思考するという問題を担当できる可能性があることは驚くべきことだったのです。 おそらく、脳にはニューロンのネットワーク以上のものがある、あるいは、物理学では未発見の新しい層のようなものがあると想像する人もいたのかもしれません。
 ところが、生成AIのおかげで、重要な新しい情報が得られることになっていくのです。脳のニューロンとほぼ同じ数の接続を持つ純粋な人工ニューラルネットワークが、人間の言語を驚くほどうまく生成できることがわかってくるようになるとは、当時は、想像だにしていませんでした。

對馬:
 とても興味深いお話で、お聞きしたいことも沢山あり、心がワクワクしています。それは、遠藤さんの取り組みが現在においてもきっと役立つと思うからです。お聞きしたいことは沢山あるので、これからは、あまり焦らずに、時間をかけて一つずつ教えていただきたいと思います。