MVPの社会実装はBMPと人材がキー

對馬誠也理事長(以下、對馬):
 つぎに、社会実装に当たっての苦労話などありましたら、簡単に教えていただけないでしょうか。

遠藤隆也会員(以下、遠藤):
 まず、新しく考案した、手作り試作の実験用デジタル伝送システム(手作りの回路・基板50数枚を実装したシステム)、これは顧客に価値を提供できる最小限のプロダクト(MVP:Minimum Viable Product)と考えられますが、これを商用機を、しかも数十システムにしていくためには、電気通信メーカー2社に、そのノウハウを技術移転することから始まります。新規技術、特にネットワークシステムの技術移転は単純に設計書をお渡ししてできるものではありません。毎晩、深夜までメーカーさんの工場で、一緒に回路を作り実装しながら、食事もしながら、謂わば、「同じ釜の飯を喰う」という仲で創って頂きました。
 並行して、電話局や中継所で商用機を実際に運用して頂く方々にご理解頂き、アナログの電話会社から新しいデジタルの職場・デジタルの仕事にしていくことが、全社的なトランスフォーメーションの基盤になります。ここでは、定期的な会合を行って事業部の方々に誠心誠意ご説明することで、事業部の方々に実際の普及活動を実践して頂きました。
 また、「ファクシミリ通信方式を方式設計し実用化する」に関しては、メーカーさんとの「同じ釜の飯」による技術移転と協働開発に加えて、事業部の方々と毎週定期的に打合せし、事業部門からのフィードバックを適宜導入して信頼感の造成につとめました。  
 加えて、事業部門がビジネスを進められるように、自分で、サービスのトラフィックモデルの設計、料金の試算(ビジネスを運用するときの収入額試算)、設備数設計法(ビジネス運用するときのコスト試算)をおこなって、事業部門に提供しました。
 また、ビジネスモデルパターン(BMP:Business Model Pattern)として、例えば、デジタル化、インテグレーター、ソリューションプロバイダー、オーケストレーター、稼働保証、サブスクリプション、従量課金、アドオン、専門特化プレイヤー、顧客データ活用、ロングテールなどを考えました。

 そして、このようなサービスを提供する場合に忘れてはならない基本事項が、「国際標準化」活動です。サービスを提供するためのインタフェースの約束事であるプロトコルを、国際的に標準にしておくことは必須なのです。皆さんが毎日使われているインターネットのプロトコルとして「http」があります。このhttpのオリジンは、テキストを送ることから始まったのです。そこで、当時、スイスのジュネーブにある通信サービスの国際標準化機関に出張して、国際標準化の最中であったメッセージハンドリングシステム(Message Handling System:MHS)のひとつに、ファクシミリメッセージサービスの通信プロトコルをいれてもらい、これによって、ファクシミリメッセージサービスが国際標準化されたのです。
 この時には同時に、送信するコンテンツの構造の標準化も行いましたが、それがドキュメントアーキテクチャです。当時、特許庁の新庁舎建設に伴い、新しい特許(登録)システムもまた国際標準化したシステムに移行することから、NTTデータと一緒に、標準化活動中であったドキュメントアーキテクチャーを提案し、それが採用されました。これが、皆さんが特許を登録するときに使われるドキュメントアーキテクチャーです。なお、最初の商用化システムはNTTデータが開発しました。この時、新庁舎開所式に招待されたことを思い出しました。

對馬:
 事業化のために、国際標準化の課題まで対応したのですね。遠藤さんが多くの方と実に多くのことに取り組んできたことがわかってきました。以前、イノベーションの講義を受けた時に、日本が事業化で世界に遅れる理由の一つに国際標準化の戦略が弱いということを聞いたことがあります。遠藤さんが取り組んだ事業でも国際標準化がとても重要だったし、それに成功したということですね。素人は、普通国内の通信事業なので国内の事情だけ考えていれば良いように思うのですが、通信の世界はそうはいかないということがよくわかりました。しかも、そうした取り組みの成果が「特許(登録)システム」作りにも繋がったということになるのですね。「新しいものを作る」のは大変だと思うのですが、同時に関連するシステム作りなど「やりがい」もあるということですね。まさに、技術者冥利に尽きたのではないかと思います。

 さて、これまでのお話をお聞きして、事業化をするためには、多くの課題を解決しなければならなかったかが伝わってきました。
 わたしなりに整理すると、伝送システムについては、①メーカーへの技術移転、②利用者(商用機を運用する者)へ理解増進・指導を行い、ファクシミリ通信方式の実用化においては、上記①、②だけでなく、ビジネスを進めるため情報を関係者と共有したということになるでしょうか。事業化を目指す技術者がいかに多くの課題に向き合っているかがとても良くわかりました。
 私たちのNPO法人は、大学、研究機関等で研究成果がなかなか事業化までいかないことを何とか支援できないかと考え設立しています。遠藤さんのお話は会員のみならず、開発した技術を実用化したいと考えている人達にとても役立つと思います。
 それで、次の質問に移る前に、一つだけ教えてほしいことがあります。それは、人材の確保とその活用についてです。なぜお聞きするかというと、私たちのこれまでの経験から、事業化に成功しない理由の一つに、成果を事業化しても、販売する「人材」がいないし、育っていないと感じていたからです。遠藤さんは、事業を遂行するためには、インテグレーター、ソリューションプロバイダー、オーケストレーター、そして、専門特化プレイヤーという人材が必要だとしていますが、それらの人達の役割と、それらの人材が必要だ(他にもいろいろあると思うが)と考えた理由などを教えていただけないでしょうか。

遠藤:
 ここで示した、インテグレーター、ソリューションプロバイダー、オーケストレーター、専門特化プレイヤーなどは、ビジネスモデルパターンの名称を述べたものです。すなわち、私たち研究者が研究実用化した(ここでは、ファクシミリ通信方式を方式設計し実用化した)ものが、事業部門に移行されてビジネスとして提供されるときには、このようなビジネスモデルパターンの可能性があることを示しています。そして、このビジネスモデルパターンを実践するための人材も必要となります。
 私が武蔵野電気通信研究所に入社した当時には、建屋の正面には噴水のある池があり、その池の傍に石碑が建てられていました。その石碑には、「知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう」と書かれており、毎朝、毎朝、ここを通って、その文字を胸に刻んで研究していました。武蔵野電気通信研究所の「R&D(Research and Development)」とは「研究実用化」、すなわち、世の中で具体的に使われることまでを指す言葉でした(なお、Developmentとは、今は一般的に訳されている「開発」ではなくて、「実用化」と訳されていました)。
 この実用化を推進する人材としては、当然のことながら、研究所採用の人材の育成に加えて、事業部門・本社からも優秀な人材との人事交流が頻繁に行われ、また、兼務発令もおこなわれており、研究室の中には事業部門・本社の人材がいわば常駐・交流していました。さらに、事業部・本社の中に新しい事業組織を立ち上げる時には、研究所出身者がリーダーを勤め研究室員が人事異動でその組織を推進することが日常茶飯事でした。
 今では、本社のなかの新規事業開発関連にはプロデューサーがおり、その中には事業部・本社出身者と研究所出身者が混在しております。なお、私自身が、研究所全体の育成担当を2度、5年間勤めたことがあり、常に人材育成の大切さを実践する責任者でもありました。電電公社・NTTでは、普通の会社でいう人事担当という名称ではなく、人材育成が組織にとって大切であることから、育成担当という役職が、所長の横にいて、日々活動をしていました。